仙台地方裁判所登米支部 昭和34年(わ)24号 判決 1960年6月17日
被告人 今野こと金野武夫
昭二・九・六生 自動車運転者
主文
被告人は無罪
理由
本件公訴事実は「被告人は大型自動車第二種の運転免許を有し、登米郡東和町米川米穀雑貨商丸春商店こと佐藤春吉方に雇われ、自動車運転の業務に従事中、昭和三四年一一月一七日午後三時一〇分頃同町米川力畑八番地鈴木忠志方から小型四輪貨物自動車(宮四あ、〇・一九一号)に大豆四俵を積んで同家前路地より一旦県道に右折して、更に県道を後退運転しようとしたものであるが、凡そ自動車運転者としては、このような場合、左右両側及び後方を注視して、その安全を確認し乍ら徐行して後退し、以て危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠つて漫然後退運転をなした不注意により、右自動車後部にすがつて遊んでいた及川強(三年)に気付かずして同人を転倒させて、その操縦する自動車の右側後車輪で同人の頭部を轢過し、因つて頭蓋骨々折並に脳損傷を伴う頭部割創により、即時同時において同人を死に至らしたものである。」というにある。
司法警察員作成の及川とらの、及川まさ子、鈴木忠志及び被告人の各供述調書、医師斎藤尚二作成の死亡届の各記載、当審における証人及川まさ子及び被告人の供述によれば「被告人は大型自動車第二種の運転免許を有し、登米郡東和町米川、米穀雑貨商丸春商店こと佐藤春吉方に雇われ、自動車運転の業務に従事中、昭和三四年一一月一七日午後三時十分頃、同町米川力畑八番地鈴木忠志方から小型四輪貨物自動車(宮四あ、〇・一九一号)に大豆四俵を積んで同家前路地より県道口に至り同所を右折して県道上に出、該方向に進行し易くするために該県道を後退運転した際、該自動車荷台の後部中央にすがりついていた及川強(当時三年)の手が離れ転倒したため、該自動車の右側後車輪で同人の頭を轢過し、因つて同人をして頭蓋骨々折並に脳損傷を伴う頭部割創により即時同所において死に至らしめた」ことが認められる。
よつて右事故が被告人の過失によるものかどうかについて検討して見るに、前示各証拠(但し医師斎藤尚二作成の診断書を除く。)及び司法警察員作成の実況見分書(添付図面及び写真を含む。)によると、被告人は前示鈴木忠志方庭先で前示自動車に前示大豆四俵を積込んだのであるが、その際前示被害者である及川強ら二、三の子供らが、うるさく自動車にまつわりつくので、被告人及び右強の母及川まさ子らが危いからと右子供らを叱りつけ他に退散させ、被告人が右鈴木忠志方庭先を発車当時は右子供らは同所附近には認められなかつたこと、鈴木忠志方前路地から県道口迄の距離は約二六米、巾二・二米の直線道路で見透しに支障なく、前示県道には丁字型に交つており、且つ県道えの入口附近は人家なく県道路面の左右の見透しも容易な状況であること、被告人が鈴木忠志方庭先を発車後県道に入る迄の間は徐行運転し、県道入口附近で運転しながら県道の左右路面を注視したところ、入口より左方数十米の県道上に被告人の雇主佐藤弥らが立話しをしている外他に車馬人影等の障害物がないのを確認したので、そのまま帰路方向に右入口を右折して県道上に出た上、直ちに右主人佐藤弥を乗車させるため後退運転をしたとたんに鈴木忠志の驚声に因り直ちに停車したけれども時既に遅く前示事故となつたものであること、被害者強が自動車荷台後部にすがりついたのは右県道入口附近の路地でその附近にいた被害者の母及川まさ子、鈴木忠志らも殆んど知らぬ間に、不意に飛出し突然すがりつき、そのすがりついた部位は自動車の真裏で運転台にいた被告人よりは全然視覚し得ないものであつたこと以上の事実が認められる。以上の事実によると被告人は被害者強を他に退散させ附近に強がいないことを確認して発車し且つ県道えの入口附近でも自己の進行方向路面に強らその他障害物がないことを確認して進行(後退運転)したのであるから、これ以上運転台より死角の部位にすがりついている者があるか、どうか迄の注意義務を課するは以上のような状況のもとでは運転者に対し酷であるというを相当とすべく、結局本件事故は被告人の注意義務懈怠に基くものでないというを相当とする。
そうすると結局本件公訴事実は犯罪の証明がないことに帰するを以て刑訴法第三三六条に則り主文のとおり判決する。
(裁判官 小嶋弥作)